通信の聖地、横須賀を語る YRP主催のイベントを見てきた

2024年4月25日

江戸から、明治、今や最新のスマホ、救急医療、横須賀高校生の最新無線研究

2024年3月23日、横須賀市勤労福祉会館「ヴェルクよこすか」にて横須賀リサーチパーク(YRP)無線歴史展示室10周年記念講演会が開催されました。
江戸幕府に開国を迫ったアメリカのペリー提督率いる4隻の「黒船」が横須賀沖にやってきました。
この黒船によって持ち込まれた2台の通信機(有線式)によって、我が国に「通信」の歴史が始まったのです。
ペリー提督、本来は20隻の艦隊で日本に開国を迫る予定だったようですが、当時の大統領が選挙で敗北してしまい4隻となったことが分かっています。
その後、横須賀は我が国における通信技術の最先端をYRPという組織を中心として現在も担っています。
そんな「通信の聖地」とも言える横須賀の地で講演会が開催されたのは大変意義深いことです。

▲講演に先立ち、YRPの鈴木社長からの挨拶

横須賀開国史研究会会長・郷土史家 山本詔一氏の講演

最初の講演は横須賀開国史研究会会長・郷土史家 山本さんによる講演です。
講演のテーマは「通信の聖地・横須賀の誕生。そして、今に至るまで」というもの。
ペリー提督が来港する前から話は始まりました。
ペリーは2台の(有線)通信機を持参してきており、朝廷と幕府に献上しましたが、一緒に持ち込んだ蒸気機関の乗り物の方が話題になり、通信機に関心が集まることはなかったという、少しさみしい通信の歴史のスタートでした。

▲横須賀開国史研究会会長・郷土史家の山本詔一さん

蒸気機関は、実際に走る乗り物だったようで、日本の役人が実際に乗って楽しんだようですが、通信機の通信実験は地味に見えたようです。
当時のテクノロジーでは到底不可能なタイムスジュールで動いていたエピソードなど、山本さんは「…と言われている」というエピソードもいくつか紹介し、そのエピソードの信憑性が現在でも確認されていないことなどを解説し、まだまだ通信の歴史について「つまびらかになっていない」部分がいくつもあり研究の余地がある、と講演を締めくくりました。

▲ペリーが持ち込んだ通信機は重要文化財に指定されている。

YRP無線歴史展示室室長・工学博士 太田現一郎氏の講演

続いての登壇者はYRPの無線歴史展示室長・工学博士でもある太田現一郎さんです。

我が国における無線通信の黎明期といえる明治期に横須賀が成し遂げた日本の無線電信機の実現などを紹介しながら、無線研究メッカのYRPが横須賀の貴重な地形的条件で誕生した意義などを解説しました。

▲YRP無線歴史展示室室長・工学博士 太田現一郎さん

後半は学生研究者達の講演からスタートです

10分ほどの休憩を挟んだ後は、後半のスタート、横須賀に縁のある現役学生研究者の講演が始まりました。
「横須賀出身の学生研究者達による取組」を紹介するコーナーです。
学生研究者の最初に登壇したのは、神奈川県立横須賀高校の卒業生で明治大学大学院生の瀧川マリアさん。

▲研究発表を行う瀧川マリアさん

瀧川さんは、高校在学中に、携帯電話の5GのMIMO技術を応用した高速通信の「MARIA方式」をYRP等と共に考案して特許を取得しています。
その他にも「現役高校生研究者」が、事前に収録されたビデオで登壇するなど「通信の聖地横須賀」に縁を持つ現役高校生研究者が育っていることが分かりました。

先進な情報通信で救急医療を考える!横須賀市消防局の取組

また、横須賀消防局 菅野孝一朗さんや、YRPユビキタスネットワーキング研究所 部長 新堂克徳さんによる「先進な情報通信で救急医療を考える!横須賀市消防局の取組」も紹介されました。
インターネットと救急医療を組み合わせることによって、素早く正確な判断が出来るようになることが説明されました。

▲YRPユビキタスネットワーキング研究所部長の新堂さん
▲熱心な来場者が会場に駆けつけた
▲ミニ展示コーナーでは三六式無線電信機などが展示された(右側)
▲ライターの圧電素子とアルミホイルのボールを使用したコヒーラ検波器の実験装置も展示されていた

【広告】本ページはアフィリエイト広告による収益を得ています。